ちょき☆ぱたん お気に入り紹介 (chokipatan.com)
第1部 本
ユーモア
スローターハウス5(ヴォネガット)
『スローターハウス5』1978/12/31
カート・ヴォネガット・ジュニア (著), 和田 誠 (イラスト), 伊藤典夫 (翻訳)
(感想)
自分の生涯を過去から未来へとランダムに遡ってしまう時間旅行者になってしまったビリーの、ユーモラスで不条理な人生を描いた作品で、作者自身の戦争体験をまじえて、戦争や動物虐待などの人間に潜む暗い部分に焦点をあてた、半自伝的長篇です。
タイトルの『スローターハウス5』は「食肉処理場5」という意味で、もともとは処理前の豚をまとめる小屋として建てられ、第二次世界大戦中にアメリカ軍兵士を捕虜として収容する家となったドレスデン市食肉処理場の施設の名前のようです。
作者のヴォネガットさんは、ドレスデン無差別爆撃(連合国軍がドイツのドレスデンを攻撃し十三万五千もの死者数(推定)をだした恐るべき攻撃)を、そこで捕虜として体験し、廃墟の中を生き延びた経験を持っています。その体験が、作中で主人公のビリーが物資不足の絶望的戦いの果てに捕虜となるリアルな描写に活かされています。
ところで捕虜体験者の戦記というと、悲惨さがクローズアップされて、読んでいて息がつまりそうになるものですが、この作品はそうではありません。ものすごくドライなユーモア(ブラックユーモア)と、全体に諦めというか……諸行無常感(?)に満ちています。
大富豪の娘と幸福な結婚生活を送り……検眼医として成功し……異星人に誘拐されてトラルファマドール星の動物園に収容され……第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、連合軍によるドレスデン無差別爆撃を受ける……これらの事象が、時系列むちゃくちゃな時間迷路の中で、悲しみも幸福も同じように淡々と語られ、すごく悲惨な事態にもユーモアが感じられるときさえあります。
戦争で多くの人間が虐殺されること、トラルファマドール星の動物園に収容され、同じように拉致されてきた若い女性と「つがい」で生活展示されること……人間のなかに潜む残酷さが淡々と語られていくのですが、そこには何かを告発しようという気迫というよりは、運命をただ受け入れようという姿勢が感じられます。すごく残酷な事実の記述の後には、いつもこの言葉が続きます。
そういうものだ。(So it goes.)
ところで、この作品には『タイタンの妖女』の「人類すべてを操ってきた」トラルファマドール星人や、トラウトやラムフォードなど、彼の他の作品に登場してきた名前が再登場してきます。この作品は、ヴォネガットさんが、自分のこれまでの生きてきた現実と、作家として追い求めてきた幻想を、はじめて有機的に関連づけた作品なのです。
さて、人間が動物にしているのと同じように、ビリーをトラルファマドール星の動物園に悪意なく収容しているらしいトラルファマドール星人がビリーにした助言は、
「幸福な瞬間だけに心を集中し、不幸な瞬間は無視するように――美しいものだけを見つめて過ごすように、永劫は決して過ぎ去りはしないのだから」と言うものでした。
トラルファマドール星人は、時間を超越して生きている(四次元的)存在なので、過去も現在も未来も常に存在しつづけるのです。彼らにはあらゆる瞬間が不滅なので、一瞬一瞬は数珠のように画一的につながっていて、いったん過ぎ去った瞬間は二度と戻ってこないという地球人の(三次元的)現実認識は、錯覚にすぎないと考えています。
人間の死というのは、ただ一瞬の出来事に過ぎず、別の時間ではその人は元気に生きている。死は悲しむべきことではない、そう考えているトラルファマドール星人は、誰かが死んだというニュースを聞くと、こうつぶやきます。
「そういうものだ」
トラルファマドール星人は、地球人ビリーに「現実を洞察する手がかりを与えてくれた」そうですが……それは彼に何をもたらしたのでしょうか?
読み終わった後、ちょっと茫然としてしまうような、不思議な作品です……。
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ヴォネガットさんの他の本、『プレイヤー・ピアノ』、『タイタンの妖女』、『ガラパゴスの箱舟』、『はい、チーズ』、『人みな眠りて』に関する記事もごらんください。
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