ちょき☆ぱたん お気に入り紹介 (chokipatan.com)

第1部 本

社会

事実はどこにあるのか(澤康臣)

『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方 (幻冬舎新書 687)』2023/3/29
澤 康臣 (著)


(感想)
 記者はどうやって権力の不正に迫るのか。SNSと報道メディアは何が違うのか。事件・事故報道に実名は必要なのか。ジャーナリズムのあり方を、現場の声を踏まえてリアルに解説してくれる本です。
「報道の役割は市民に大切な真実を知らせることだ。」そうです。次のように書いてありました。
「市民は世の中で何が起きているか、十分に知らなければ、道を誤ったり、危険な方向に進んだりしてしまう。正しい情報を知れば、声を上げ世論をつくって、誤った道から正しい道に進路を変えられる。
 だから私たちは本当のことを知る必要がある。報道記者はそのために働く職であり、私たち市民に最優先の忠誠を尽くし、真実を伝えようと努力する義務がある。」
 ……そしてその事例として、東京医大をはじめとする全国一〇の大学で女性差別入試をしていた問題が、次のように取りあげられていました。
「問題が次々に明らかになり、政府も調査に乗り出した。その結果、全国一〇の大学で女性差別など不適切な入試をしているか、少なくともその疑いがあるという報告を発表した。一方、大学関係の団体は入試での男女差別を厳禁した。(中略)こうして、女性差別、浪人差別などは、大学入試としては一切認められないルールが確立した。(中略)
 情報は日の当たるところに置く。つまり公開し、暗闇つまり秘密にしない。特に社会の不正や社会問題の詳しい事実が公表され、みんなの目に触れることが解決に不可欠だということを、太陽光の滅菌力にたとえたものだ。
 医学部女性差別入試も、問題点が明るみに出され、専門家をはじめ市民たちが正面から議論し、裏のルールは消え、その擁護者は立ち去る。そうして社会が前進した。」
 この他、三菱電機のサイバー攻撃被害、富山市議会の政務活動費着服、秋田市の地上イージス配備に関する防衛省の事実に反するデータが事例としてあげられ、いずれも記者が取材して真実を調べなければ、誰も事実を知らなかった可能性が高いものでした……社会をより良くしていくために記者が果たす役割は、とても重要だと痛感させられました。
 また記者がこの役割を果たせなくなったときの事例として、太平洋戦争の「ミッドウェーの壊滅的敗北を隠した大本営発表」が、次のように紹介されていました。
「当時の新聞がしたことは日本軍の惨敗という事実の報道ではなく、軍の発表をそのまま伝えることだった。当時の新聞は軍や政府の厳しい監督下に置かれ、検閲が行われていた。権力に一致協力することが強いられる社会だったとはいえ、現実からかけ離れた報道だ。(中略)
 イギリスの歴史家ジョン・アクトンは「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」という有名な言葉を残したが、真実を隠しうそを広めるという日本軍のひどい腐敗と、事実を自由に調べて伝えるメディアの活動が抑圧され、また記者たちもそれに抵抗できていなかったことは、表裏一体の関係のように思える。」
 ……実はこの報道は、一面では「事実」でもありました。メディアは「軍はこのように発表した」という「事実」だけを淡々と伝えたからです。「事実ではない嘘」を発表したのは「軍」でしたが、メディアがこのように伝えたら……読者は嘘を信じてしまいますよね、検証のしようがないわけですから。
 これについて、次のように書いてありました。
「(前略)市民の「運営」のためには、事実がどうなっているかにまさるもものはない。結局、ジャーナリズムは、より良く多様な視点を持ちつつ、事実を発見して伝えることに尽きる。」
 ……まったくその通りだと思います。
 ただしジャーナリズムは、必ずしも「中立」の立場で「事実」を伝えているわけではありません。次のようにも書いてありました。
「ジャーナリズムは事実を伝えるが、「どういう事実を選んで伝えるか」には伝える側の考え方や視点が必ず入る。そこに完全な「中立」は無理だ。問題は、その視点の選び方が市民にとって良いものかどうかである。ここがまずいと、「軍は互角の戦闘だったと発表した」「ウナギの採捕量が前年より増えた」と事実を伝えているのに、本当の実態、つまり真実には反するということも起きてしまう。」
 ……できるだけ「中立」な立場に立って、正確な「事実」を伝えようと「努力する」ことが大切なのではないでしょうか。
 アメリカの本『ジャーナリズムの原則』による「報道のおきて一〇ヶ条」は次の通りだそうです。
1)ジャーナリズムの第一の責務は真実である
2)第一の忠誠は市民たちに対するものである
3)その真髄は事実確認の厳格さにある
4)その仕事をする者は報道対象から独立を保たねばならない
5)独立した権力の監視役を務めなければならない
6)皆が批判と歩み寄りの議論をする場を提供しなければならない
7)重大なことを面白く、自分事に感じられるよう努めなければならない
8)ニュースがものごとの全体像をバランス良く示すように保たねばならない
9)その仕事をする者は個人としての良心に従うことが許されなければならない
10)市民もまたニュースに関して権利と責任がある
   *
 ……理想的に見えますが、現実には、なかなか遵守困難なおきてかもしれません。
 さて、記者の方たちは、世の中の「変なこと」に敏感なようですが、それはさまざまなジャンル別に新聞や雑誌のページを作るために、常に定点観測をしているからだそうです。そしてそれには費用がかかります。この本には、SNSでニュースを読む人が増える一方で、新聞や雑誌の購読収入が減って、報道メディアが金銭的に厳しい状況におかれていることも書かれていました。
 また新聞やテレビのニュース編集局が、自分たちの報道するニュースの真実性を精査している一方で、SNSのニュースは、誰も真実性を精査していないという実態も指摘されていました。(ただし日本人は賢いようで、「日本の総務省が二〇二一年にメディアごとの信頼度を調べたところ、SNSを信頼できるという人は一五%だった。」そうですが……。)
 SNSで偽情報が拡散されている現状に加え、これからは生成AIが「よくできた偽情報」を広めてしまうのではないかという懸念も高まっています。
 これらの問題を解決するために、「ファクトチェックの専門家にお金を払う」仕組みを作るべきではないかと思います。
 実際、記者や学者を中心に、次のような動きがあるようです。
「日本でも二〇二二年にジャーナリストや学者が協力する「日本ファクトチェックセンター」が発足し、この「国際ファクトチェッキング・ネットワーク」の規範をもとに活動している。(中略)
 これらをまとめると、ファクトチェックと真実情報の発信は、デマを打ち消し、誤情報から市民を守る力になる。だが調査に手間も時間もかかる。発信や表現の仕方にも工夫を重ねなければ効果が出てこない。デマを発信するのは簡単なのに、である。」
 ……ファクトチェックのための調査に「手間も時間もかかる」ことは明らかなので、これを行う組織を、健全に育成するための仕組み(ボランティアではなく)が必要だと思います。そしてそれは、メディアや大学などが中心になるべきではないでしょうか。有能な記者や研究者の仕事には、「ファクトチェック」が必須なのですから。
 また市民が自らファクトチェックできるよう学習する必要もあると思います。みんなが自然にファクトチェックをするようになれば、巧みに嘘をつくことがある生成AIだけでなく、人間の詐欺師に騙される人も減るのではないでしょうか。
 そのための第一歩として、本書では、メディア専門家の下村健一さんの「ソウカナ」チェックの方法を紹介してくれています。おっ、と思う情報をネットで見たときには……
ソ:即断しない(一呼吸おいて、良く考える)。
ウ:うのみにしない(事実の報告なのか、推測や意見なのか)。
カ:偏らない(複数の、できれば多数の情報源で確認)。
ナ:中だけ見ない(ほかの見方や情報がないか考える)。
 ……という「ソウカナ」チェックをすると良いようです。
『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方』……ジャーナリズムのあり方を詳しく解説してくれる本でした。この他にも、事件・事故報道に実名は必要なのかなど、参考になることをたくさん読むことが出来ました。みなさんも、ぜひ読んでみてください。
   *   *   *
 なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。

Amazon商品リンク

興味のある方は、ここをクリックしてAmazonで実際の商品をご覧ください。(クリックすると商品ページが新しいウィンドウで開くので、Amazonの商品を検索・購入できます。)