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第1部 本
IT
ネットで勝つ情報リテラシー(小木曽健)
『ネットで勝つ情報リテラシー』2019/9/6
小木曽 健 (著)
(感想)
ネット空間に溢れているウソを見破り、悪意をかわし、あなたの声を正しく届けるためのテクニックを教えてくれる「ネットで「勝つ」ための情報受信・発信マニュアル」です。
拡散される「フェイクニュース」や「ステマ」「粘着」「炎上」……ちょっとした悪ふざけのつもりで仲間に送った写真や文章が原因で、人生がすっかり暗転してしまった事例などを見聞きしていると、ネット空間って怖いな……と痛感させられてしまいます。この本は、そんなネットとの付き合い方、すなわち「情報のウラを理解し、自分が発信する情報をコントロールしながら、「情報による攻撃」への反撃テクニックまで教えてくれる「大人の情報リテラシー入門書」です。
特に参考になったのが、「第2部 戦う情報リテラシー」。
自分の発信した内容を「炎上」させないためには、その内容を「自宅玄関の前に貼れるか」を考えるべきだと教えてくれます。
……なるほど。確かにそうですね。……でも、これって特に若者にとっては、意外に難しいことですよね(汗)。「自宅玄関の前に貼れる」内容って、「優等生的答弁」ばかりになりそうで、「つまんない奴」と思われそう……。でも私自身は、「自宅玄関の前に貼れる」ほどではなくても、「親しい知人に知られても困らない」内容だけを書くよう心掛けています。なぜなら、ネットに出た情報はすぐに「保存されてしまう」し、特に「恥ずかしい」「変な」ものほど保存されるものだから。
ところが、このように気をつけて発言した内容でさえ、ネットでは「炎上」することがあるそうです。それは、世の中には「批判せずにいられない」人が存在しているから。しかも彼らの声は大きい(刺激的な表現をとる)ので、一般の人の興味を引きやすいのです。
でも実は「批判せずにいられない」人の数は少ないので、その批判が明らかに「的外れ」「極端」な場合は、静観していても構わないようです。ネットにいる大多数は、声をださない良識派なので、馬鹿げた「炎上」は自然消滅していきます。ただし「批判」の方が多数派になったと感じるときは、「間違っているのは自分の方ではないか」と反省すべきだとか。
また批判が明らかに間違っていて対応するのも馬鹿らしいと思っても、その間違いによる影響が大きいと感じた時には、「間違っている」ことをはっきり発言すべきだそうです。なぜなら、「ネットで発言しない」ことが「同意した」とみなされてしまうことがあるから。もしかしたら泥仕合に発展するかもしれませんが、少なくとも一度は、「間違っている」ことを明確に発言しておくべきでしょう。
そして「炎上」を起こしてしまった(巻き込まれた)時に、自分の方に問題があったと思った時には、次の3点を盛り込んだ情報発信をするといいそうです。
1)炎上させたことに対する「謝罪」
2)謝罪する「理由」
3)指摘に対する「感謝」
この時、「炎上の原因となった投稿は、削除してはいけない」のだとか。
また、これらの対処は、「素早く」「言い訳せず」「前向きな姿勢」で行うといいそうです。
ここでは、マンガ原作者の小池一夫さんなどの実例が紹介されていましたが、とても素晴らしい文章で、すごく参考になりました。炎上の最中でもきちんと精神力を保って、このような文章を書けるよう、私自身も精進していきたいと思います。
ところで、深く考えさせられたのは、「第1部 すべてはホントでウソでした」で紹介されていた、国立大学生の「ネットで情報を手に入れる方法が分からない」という言葉。「検索ワード」を入れて調べればいい、という小木曽さんの説明に、彼らは「表示された検索結果から、どれを選べば良いのか分からない」と言ったそうです……これ、その言葉に思わず頭を抱えてしまった小木曽さんと、大学生の両方の気持ちが分かるような気がしました。
なぜなら私自身が大学生だった頃は、とても素直な性格をしていたので(?)、「教科書に書いてあること」「TVや新聞に書いてあること」は、だいたいすべてが事実(真実)だと信じていたから。そんな時に小木曽さんの「ネットにはウソもあるよ。マスコミもウソを言うことがあるよ」という授業を受けたとしたら、「じゃあ、いったい何を信じたら?」という気持ちになってしまうでしょう。
もっとも、すっかり大人になった今では、「ネットもマスコミもウソをいうこともある」ことをすでに知っています。
実は、大学生の頃までは純粋に素直(=ただの能天気)だった私が、「教科書やTVや新聞は本当に真実なのか」という疑問を抱くようになったのは、社会人になって、柳田邦夫さんの『事実の読み方』という本を読んだことがきっかけでした。そこで初めて、「通念や先入観による判断の誤りは、日常生活のみならず報道や政治・外交などの場でも起こりうる。」ことに気づかされたのです。それから「いったい「事実」って何なのだろう?」と考えるようになりました。
残念ながら、「事実」は必ずしも「真実」ではないのです。
しかも「事実」を出来る限り偏向のない公正な態度で忠実に伝えようとしている報道機関が仮にあったとしても、常に「事実」を正しく伝えられるわけではないのです。なぜなら「事実」にはいろんな側面があり、どこから見たかで意味が変わってしまうから……。
この本の「第1部 すべてはホントでウソでした」では、「情報リテラシー」の基本として、「全ての情報には、発信者の「個性・思いこみ・偏り」が含まれうる。よって全ての情報は「本当」も「真実」もないただの情報である。」ということが書いてありましたが、『事実』も『情報』も同じようなものなのだなーと深く考えさせられました。
でも、だからといって、「正しい情報」と「偽情報」が同じ価値ということは絶対にないのです。「正しい情報」と「偽情報」の「正しさの程度」(グラデーション)を見分ける力を持つことこそが、本物の知性、「情報リテラシー」なのだと思います。
その見分け方に「王道」はありませんが、私自身が心掛けていることは、自分が気になるテーマについて調べる時には、少なくとも「複数のソースからの情報」を得るようにする、ということ。複数の著者の本を読み、複数のサイトから情報を得る……このようにすると、数多くの情報を読まなければならないので、とても手間がかかりますが、対象のテーマについて深く知ることが出来るだけでなく、「間違った情報」を排除することが出来るようになります(なる気がします……)。
また気になるテーマについては、常に新しい情報を得る努力(情報の更新)を続けていく必要もあります。なぜなら技術革新などで「以前に正しかった情報」が「古い(間違った)情報」に変わってしまうことがあるから……。「正しい(有効な)情報を得る」ために、「楽な道」など、ないのです……。
ちょっと横道にそれてしまいましたが、この本には他にも、「成りすまし」に困ったときの対処法なども紹介されていて、「ネット」との正しい付き合い方を、基本から実践まで幅広く教えてくれる、とても参考になる本でした。ぜひ読んでみてください。お勧めです☆
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なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。
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