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第1部 本
教育(学習)読書
ニュートンの海―万物の真理を求めて(グリック)
『ニュートンの海―万物の真理を求めて』2005/8
ジェイムズ グリック (著), James Gleick (原著), 大貫 昌子 (翻訳)
(感想)
万有引力の法則を発見した孤高の天才、アイザック・ニュートンさんの素顔と、偉大な業績に迫る伝記です。
子どもの頃、ニュートンさんのリンゴの有名な逸話を聞いて、落ちてきたリンゴを見て「地球の引力」に気がつくなんて、さすが天才は頭の働き方が違うんだなー、と感心し、教科書で教えられるニュートンの法則なんかは、もう「1+1=2」と同じように、当たり前のもの(絶対的真理)として受け止めていました。でも、考えてみるとニュートンさんの子ども時代には、「ニュートンの法則」はなかったんですよね(汗……当然ですが)。著者のグリックさんは、序説で次のように言っています。
「ニュートンこそは現代世界設計の主人公なのだ。光と運動という古くからの哲学的謎を解き、事実上重力を発見したのも彼である。ニュートンはさらに天体の運動を予測する方法を示し、それによって私たち人間の大宇宙に占める位置をも定めた。彼のおかげで知識は、いまや測ることのできる正確な、実質をもつ存在になったのだ。なかんずく彼はさまざまな原理を確立した。それらはニュートンの法則と呼ばれている。」
こんな偉大なニュートンさんですが、驚いたことに、決して恵まれた少年時代を送ったわけではありません。育った村には「時計」すらあまりなかったようで、ニュートンさんは日時計を手作りし、「ウールズソープでは、時間を知りたい者はみな、アイザックの日時計をあてにしていた。」のだとか! しかも、ケンブリッジ大学内のトリニティ・カレッジには「準免費生」として入学しているのです。免費生とは、「生活費を稼ぐため、ほかの学生の召使いとして走り使いや食事のときの給仕をつとめ、その残り物で食事をすます」学生のことなのです。
さらに大学で教えられたのは、なんと古代ギリシアのアリストテレス! その時代ではそれが普通だったようですが、すでに砲弾や造船技術などが進歩しつつあったので、アリストテレスの機械論の陳腐さ、無力さも明らかになってきていたようです。ニュートンさんは書籍での独学を通して、フランスの哲学者ルネ・デカルトをはじめ、ニュートンさんの生まれた年に亡くなったイタリアの天文学者、ガリレオ・ガリレイなどの研究から、彼なりの新しい考えや論証法を発見していったようです。
しかもニュートンさんの時代は、「単位」さえもきちんと定義されていなかったようで、本文中には次のような記述がありました。
「時間とスピードに関する技術のない文化には、数学者が運動量を測るのに必要な基本概念も欠けている。そのころ英語はやっと「ノット」という最初の速度の単位を、取り入れたところだった。それは航海者が海に投げ入れた綱の結び目で船足を測る、唯一の方法に基づいた言葉である。」
……こんな時代に、ニュートンさんは自力で多項式の因数分解を覚え、微積分という考え方を考え出したのです。本当に凄いですね!
彼は、ペストが流行した時期に、大学からウールズソープの家に帰って、独学でいろいろなことを考えつづけました。
「ペスト流行のためケンブリッジ大学のカレッジ全部の閉鎖が始まり、教授も学生も公害へと散っていった。(中略)彼はまず自分で問題を提起し、一心不乱にそれを考え、答えを計算し、また新しい問題を作り出した。こうして彼は、知らず知らずのうちに知識の最前線を越えてしまったのである。ペスト流行の一年間は、彼の変貌の時となった。ただひとりほとんど外界との連絡を断ったまま、彼は世界最高の数学者になっていたのだ。」
この時期に、もしもニュートンさんがペストで亡くなっていたら、私たちの科学知識はもっとずーっと貧弱なままで、いろいろな機械も今ほど洗練されていなかったのかもしれません。「微積分」が工学を飛躍的に向上させたのですから。
……それとも、ニュートンさんがいなくても大丈夫だったのでしょうか? 実は「微積分」に関しては、ライプニッツさんとの間で盗作論争があったのです。この時代、ライプニッツさんもまた、独自に「微積分」を考案していたようです。本書には次のような記述がありました。
「ニュートンは本当のことを、実はちゃんと知っていたのだ。彼とライプニッツは、独立して別々に微積分を創り上げたのである。ライプニッツは、人づてに断片的にニュートンから学んだことについて率直だったとは言えないが、その発明の真髄はライプニッツのものだ。ひと足先に発見したのは確かにニュートンで、しかも彼はそれ以上にもっと多くの発見をしている。けれどライプニッツは、ニュートンのしなかったことを実行したのだ。つまりその仕事を世界に発表し、万人の利用と判断に供したのである。競争と嫉妬を生んだのはニュートンの秘密主義である。知識の伝播のこのギャップこそが、盗作論争を煽りたてたのだ。」
偉大な業績をあげたニュートンさんですが、性格的にはかなり偏屈なところもあったようです(汗)。
さて、この本のタイトル『ニュートンの海』は、ニュートンさんが死ぬ前に言ったという次の言葉からきているようです。
「「私という人間が世間の目にどう映っているかは知らないが、自分では海辺で遊ぶ子どものようなものだとしか思えない」と、彼は死ぬ前に言っている。「ときに普通よりもなめらかな石ころや、きれいな貝殻を見つけたりして、それに気をとられているあいだにも、眼前には真理の大海が、発見されぬまま広がっているのだ」この印象的なたとえは、その後何世紀にもわたって、頻繁に引用されているけれども、実のところニュートンは子どものころも成人してからも、海で遊んだことなど一度もなかった。字も読めない無学な農夫を父として片田舎の村に生まれた彼は、一生イギリスという島国に住み、月と太陽が海の水を引き寄せた結果生じる潮汐の現象を説明はしたものの、おそらく海を眺めたことは一度もなかったにちがいない。言うなれば彼は抽象と計算をとおして、海を理解していたのだ。」
……海を見たこともなかったのに、ニュートンさんは「抽象と計算」をとおして、それまで漁師や船員ですら理解していなかった「潮汐」を明らかにし、物理学をはじめ科学全般について、その発展を大きく推し進める力を与えてくれたんですね!
ニュートンさんの絶対空間と絶対時間は、その後、アインシュタインさんの革命的な相対性理論によって、空間と時間の再定義が必要になりましたが、このアインシュタインさんの相対性理論もまた、ニュートンさんの数式が基礎になっているのです。アインシュタインさんは次のように言っています。
「ニュートンの明晰な大事業は、自然哲学の領分における現代的な概念構造全般の基礎として、これからもずっと独自の価値を保ち続けるだろう」
ニュートンさんの業績(ニュートンの法則、微積分など)の概要を学べるとともに、イギリスの片田舎に生まれ、決して恵まれた学生時代を送ったわけでもないのに、最高の数学者として歴史に名を残す人物になったという、その生き方に、勇気と感動をもらえる素晴らしい伝記でした。ぜひ読んでみてください。お勧めです☆
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グリックさんの他の本『インフォメーション―情報技術の人類史』、『タイムトラベル 「時間」の歴史を物語る』に関する記事もごらんください。
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