ちょき☆ぱたん お気に入り紹介 (chokipatan.com)
第1部 本
社会
世界は基準値でできている(永井孝志)
『世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか (ブルーバックス B 2298)』2025/6/19
永井 孝志 (著), 村上 道夫 (著), 小野 恭子 (著), 岸本 充生 (著)

(感想)
われわれには「基準値」が必要だ。しかし誰にも公平な基準値をつくるのは難しい……基準値の驚きのからくりを解き明かしてくれる本で、主な内容は次の通りです。(なお、本書は2014年刊行『基準値のからくり』の続編です。)
第1章 男と女の基準値 テストステロンルールの迷走
第2章 新型コロナの基準値(1) 「距離と時間」の狂騒曲
第3章 新型コロナの基準値(2) 空気感染とはなんだったのか
第4章 トライアスロンと水浴の基準値 セーヌ川だけが汚いのか
第5章 放射線の基準値 誰が処理水と除去土壌を受け入れるのか
第6章 原子力発電所の基準値 どのくらい安全なら安全なのか
第7章 治水と防潮堤の基準値 科学だけでは決められない
第8章 がん検診の基準値 受けるべきか、受けざるべきか
第9章 PFASの基準値 世界から追われる嫌われ者
第10章 新しい「食」の基準値 コオロギは本当に安全なのか
第11章 AIと個人情報の基準値 自分で基準をつくっていく
コラム
1 先発投手の100球
2 花火大会の保安距離
3 学校の天井の高さ
4 水質環境基準のなりたち
5 妊婦はなぜ温泉に入れなかったのか
6 災害における「72時間」と「6ヵ月」
7 暑さと寒さはどっちが危険か
8 どこからがカスハラ?
9 安全係数「それ100で割っちゃうの?」
10 激辛食品のおかしな基準
*
「少し長いまえがき」によると……
「(前略)国際的な安全企画に関する「ガイド51(ISO/IEC Guide51:2014)」は、安全とは「許容できないリスクがないこと」であると定義している。(中略)
基準値を決めるということは「許容できないリスク」を具体的な数字に落とし込むということである。だから、基準値の根拠を知ることで、「安全」という抽象的な概念について、定量的に議論できるようになるのだ。」
……そして基準値には、次の4つの特徴がよくあるのだとか。
1)従来型の科学だけでは決められない
2)数字を使い回してしまう
3)一度決まるとなかなか変更されない
4)法的な意味はさまざまである
……まったく、その通りですね(苦笑)。
この本はさまざまな「基準値」について詳しく教えてくれるのですが、最初の「第1章 男と女の基準値」から驚きでいっぱいでした。
現在、オリンピックで「女性選手」として認められるためには、1)性自認が女性であることと、2)テストステロンの濃度が10nM以下であること(ただし競技前1年以上の維持が必要)が必要だそうです。
……え? テストステロン? 遺伝子(性染色体)検査で分かるんじゃないの? と思ってしまいましたが、かつて性染色体検査で「男性」とされた女子選手が金メダル選手を剥奪された翌年に男児を出産し、実は「女性」でもあった(性的モザイク)という事例があるそうで、ルールが見直されたのだとか。……「男女」というすごく判別しやすそうな「基準」にすら、こんなに難しい問題があるとは……驚きでした。そしてこのテストステロンの濃度の値も競技ごとに個別に設定することになっているなど、現在も混迷中のようです……。
「第2章 第3章 新型コロナの基準値」では、「1m・15分」ルールについて……
「距離にしても時間にしても、それを超えれば感染する、超えなければ感染しない、などとはっきり白黒つけられるものではないことは容易に想像できよう。」
……との指摘があり、未知のものについては「試行錯誤で決めていくしかない」のに、「基準値はいったん決まると「権威」のようになり、その根拠をよく考えずに使ってしまいがち。」とも言われていました(これも、その通りだと思います。)そして……
「科学的に考えれば、感染様式というものは連続的であるのがあたりまえで、ある基準値で二分されることに疑問が呈されるのは当然のことだろう。だが、実際の感染対策では科学的かどうかより実効性があるかどうかのほうが優先されることもある。近距離の飛沫感染はともかくもマスクで防ぎ、空気感染(エアゾル感染でも、飛沫感染、マイクロ飛沫感染でも呼び方は何でもよい)は換気で防ぐ、といった対策でも、実用上はほぼ問題ないと思われる。」
……「基準値」というのは、私たちの社会がうまく進んでいくために設定されるものだ、ということなのでしょう。
そして「第5章 放射線の基準値」では……
「基準値をつくるうえではリスクという面だけではなく「世の中が受け入れることができるか?」がとくに重要であること、基準値を実際に社会に実装することがいかに難しいかも感じていただければ幸いである。」
……本当にその通りだと思います。
この本では、「基準値」を決めるのがいかに大変か、そして意外に「どんぶり勘定」で出来ていることも多い、などのことについて、多数の事例を通して痛感させられました。
とりわけ「そうだよなー」と思わされたのは、「第7章 治水と防潮堤の基準値」の「いったん海抜9.9メートルとしたものを8.1メートルに見直された宮城県のある海岸の防潮堤の高さ」の事例について……
「ときとして、「科学に従って決めた」は便利な言葉である。防潮堤の望ましい高さは、立場によって異なるからだ。(中略)
「総合的に考慮」するためには、そうした多様な住民が参加するイベントを繰り返し、合意形成をはかるようなやり方を採用することになるだろう。しかし、潜在的に利害が対立している場では「参加型」の手法はいわば“諸刃の剣”であり、意見の違いを浮き彫りにするだけとなるおそれもある。実は住民にとっても、わざわざ対立を浮き彫りにされるよりは、(うすうす欺瞞に気づきながらも)「科学的に決まりました」と言ってもらったほうが「角が立たない」のでありがたい、という面があったりもするのだ。」
……これ、すごくよく分かります……そもそも防潮堤の高さを自分で決めるとしたら難しそうだし、海抜8.1メートルなら十分高そうだし……よく分からないけど……「科学的に決めた」んだし、それでいいよね……と思ってしまいそう(苦笑)。
そして驚きだったのが「第8章 がん検診の基準値」の「がん検診には、受けないことが推奨されているものもある」ということ! がん検診にはメリットとデメリットがあり、デメリットの方が勝ることも多いようです。例えば、乳がん検診のマンモグラフィー検査のメリットは死亡率の低減。対するデメリットは、放射線被爆・偽陽性・過剰診断・精密検査における偶発性なのだとか。さらに前立腺がんや甲状腺の検査は、デメリットの方が多いようでした。
そしてとても考えさせられたのが、「第11章 AIと個人情報の基準値」。ここでは、AIのような技術発展の速い分野については、「自分で基準をつくっていく」ことが重要だと指摘されていました。
・「(前略)情報技術に対するリスクアセスメントの手法としては、1990年代から欧米では、プライバシー影響評価(Privacy Impact Assessment:PIA)と呼ばれる手法が、おもに公的機関を対象に実施されている。公的機関が市民のパーソナルデータを利用する際に事前に、プライバシーへの悪影響がないかどうかをチェックするしくみである。PIAは単なる「ツール」ではなく、ステークホルダーの把握や参加も含む「プロセス」である。」
・「AIのように技術発展のスピードが速い領域では、誰かに基準をつくってもらうのを待つのは得策ではない。基準ができたころには、技術はもうその先にいってしまっているだろうし、技術開発の競争にも最初から負けてしまっているようなものだろう。文字通りイノベーションを進めていくためには、開発者あるいは利用者が、自身のAIシステムは安全であること、つまり許容できないリスクがないことをみずから示し、前進していく必要がある。」
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『世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか』……混沌としている「境目」をどう決めるのか……基準値の決め方について、多数の事例を紹介してくれる本で、とても勉強になりました。みなさんも、ぜひ読んでみてください。
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なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。
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『世界は基準値でできている』