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第1部 本
科学
天才伊能忠敬の地図を作る驚異の技術(齋藤勝裕)
『SUPERサイエンス 天才伊能忠敬の地図を作る驚異の技術』2025/4/10
齋藤勝裕 (著)
(感想)
現代のGPSもなかった時代に、徒歩と測量器具だけで当時最高の精度を誇る日本地図を作ったことで知られている伊能忠敬さんの偉業を、歴史的背景から紐解いて、その驚異的な測量技術や地図の精度、測量ルート、測量コストなど、どのようにして正確な地図を作ることができたのかの秘密を解き明かしている本で、主な内容は次の通りです。
Chapter.1 なぜ、日本地図が必要だったのか?
Chapter.2 礎を築く伊能忠敬
Chapter.3 測量の器具と技術
Chapter.4 日本全国測量
Chapter.5 地図の精度
Chapter.6 測量のコストと経済状況
Chapter.7 現代に活かされる地図作成
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ちなみに広辞苑によると、測量の定義とは、次の通りだそうです。
1)器械を用い、物の高さ、深さ、長さ、広さ、距離を測り知ること。
2)地上の各点相互の位置を求め、ある部分の位置、形状、面積を測定し、これらを図示する技術。
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「Chapter.1 なぜ、日本地図が必要だったのか?」によると、忠敬さんの日本地図作成の動機は次のようなものだったそうです。
「忠敬は50歳で家業を長男に任して引退した後、以前から興味をもっていた暦について勉強したいと思い、時の暦法の大家、高橋至時に師事して天文学や測量を学びました。そのうち、彼は地球の大きさを測りたいと思うようになりました。」
……暦をより正確にするには、地球の大きさや、日本の経度・緯度を知ることが必要なのだとか。そして……
「忠敬は自分の住んでいる江戸黒江町の自宅と浅草の暦局が緯度の差で1分(1度=60分)であることを知っていたので、実際にその間の距離を測定して至時に報告し、地球の大きさを計算しようとしました。しかし、至時に「わずか1分の間の距離では誤差が大きくて計算しても意味がない。計算するなら江戸と蝦夷地(北海道)くらい緯度の違う2点で測定しないといけない」と言われました。」
……そこで忠敬さんの胸のうちに、「江戸と蝦夷地の距離測定」という大望が芽生えましたが、「地球の大きさを測りたいという」目的では取り合ってもらえないので、幕府には「蝦夷地測量」として申し出でて、許可をもらえました。このころ蝦夷地にはロシアや欧米の接近が始まっていて、幕府はそれに危機感を抱いていたようです。
こうして始まった測量の旅。個人的に特に興味津々だったのは、「Chapter.3 測量の器具と技術」。ここでは忠敬さんが使った数々の測量機器が紹介されていました。多くの物は専門家が作りましたが、一部は測量隊が自作したそうです。
そして実際の測量では、次の二つの方法がとられました(本書では、もっと詳しい説明があります)。
1)導線法
「導線法は距離を測定したい2点間に路線を設け、その出発点から見通しのきく次の点までの距離と方位角を測り、終点に達するまで繰り返す測量法です。」
2)交会法
「導線法で長い距離にわたって測定を続けると、段々と誤差が大きくなってきます。その誤差を修正するために使われたのが交会法でした。
交会法とは、山の頂上や家の屋根など、共通の目標物を決めておいて、測量地点からその目標物までの方角を測る方法です。」
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地図の作成では、測量の旅で忠敬さんが記録した「野帳」に書かれている「各地点で測量した距離」と「北からの角度」の数字を使って……
「測量から帰ると、白紙に平行線をひき、その線の上に始まりの点の針穴をあけ、ノートに書かれた次の点までの角度と実際の距離をもとに、縮めた距離(縮尺)を白紙の上ではかり、次の針穴をあけます。これを次々と繰り返して、針穴を線で結んで一日分の地図が作られます。」
……うーん、すごく地道な作業で、苦労が偲ばれますね! でもこうやって自分の測量した数値から、日本の縮図が目の前にだんだん出来ていくのを見たら……きっと、とてもワクワクしたでしょうね☆
「Chapter.4 日本全国測量」では、測量の旅での苦労をたくさん知ることができました。例えば……
・塩釜湾岸や宮古までの間は、地形が入り組んでいるうえに断崖絶壁だったので、度々、船の上からの測量になってしまった。
・加賀藩は情報漏洩を恐れて、忠敬さんたちの測量に非協力的だった。
・忠敬さんが病気で別行動になってしまった期間に、測量隊の一部の規律が乱れた(→忠敬さんは「長期に及び測量は隊員の規律を守る点で好ましくない」と感じ、次回の測量を四国のみにとどめた)。
また次のようなことも……
・景勝地で有名だった象潟は、象潟地震で大きく地形が変わったので、その2年前に忠敬さんが実測していた記録は貴重なものになった。
・四国では海岸線だけでなく、四国縦断測量も行ったが、それは測量の信頼性を高めるためだった。
・忠敬さんは江戸で九州測量の地図を作成していたとき、間宮林蔵さんの訪問を受け、彼に1週間かけて測量技術を教えた。
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『SUPERサイエンス 天才伊能忠敬の地図を作る驚異の技術』……超絶有能仕事人間・伊能忠敬さんの地図作成(測量)技術だけでなく、その人生や生き方、当時の日本や世界の情勢まで知ることができる本で、とても参考になりました。興味がある方は、ぜひ読んでみてください☆
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『天才伊能忠敬の地図を作る驚異の技術』