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第1部 本
歴史
東西南北「方位」の世界史(ブロットン)
『東西南北「方位」の世界史』2025/2/26
ジェリー・ブロットン (著), 米山 裕子 (翻訳)
(感想)
東西南北の「四方位」それぞれの歴史と社会・文化・宗教・政治的な意味づけを、国や地域を網羅しながら考察している歴史書です。
冒頭の「オリエンテーション」には次のように書いてありました。
・「四方位は単なる方角ではない――世界中のあらゆる社会において、宇宙観や倫理観、宗教生活や政治経済の基盤となっている。それらは天体の星の動きを表現するのに使われ、祈るべき方角や礼拝の場所と建物の向きを定めるのに用いられる。(中略)世界を地政学的に整理し、分割する際にも影響力を持つ。その結果、それらの語は、わたしたち自身が何者であるかについての思い込みや信念にまで影響をおよぼすようになる。」
・「(前略)四方位のそれぞれは、宗教上または政治上の理由から、ある方位を別の方位より優位にする梃子の支点によって支配されている。古代ギリシャでは、中心はアポロンの誕生の地デロスで、北と西の中央に位置していた。中世キリスト教においては、創世記やキリストの磔刑といった聖書の物語から、エルサレムが中心で、東を上に考えていた。初期のイスラム社会では地図は南を上にし、メッカを聖なる中心として描いていた。十九世紀には、大英帝国はロンドン――より詳しく言えばグリニッジ――を空間においても時間においても中心とし、北を上にした政治地図の真ん中に据えた。」
そして「東」「南」「北」「西」について、歴史的な出来事を絡めながら、それぞれ深く考察していきます。
例えば「北」については……
「(前略)現代の世界地図で(あるいは写真で)北が上にこなければならない理由はなにひとつない。南だってまったく問題ないはずだ。しかしなぜ北が勝利を収めることになったか、その物語こそが、本書の核心なのである。」
そして……
「なぜ北が上になったのか。一言で言うなら、二つの伝統が融合したためだ。第一に、幾何学を使って地球を想像し、二次元の平面に投影するという古典ギリシャの慣習のなかで北は上に置かれた。北極星の天文学的観測と気象学的な風の考察にもとづいて描いたため、北が優位になったのだ。第二に、中世に地中海を横断する航海を助けるものとして磁気コンパスが導入されたことで、まずは「羅針儀海図」と呼ばれる海図が作られ、その後、ほとんどの世界地図が北を向くようになった。」
……またメルカトル図法による地図の普及も「北が上」を推進したようです。
・「北への磁気偏角の計算に配慮したメルカトルの図法は、その後四〇〇年間、ヨーロッパ諸国が国家主導で行う東西方向の探検や植民地化のための航海のほとんどで採用された。」
・「(前略)今日の、ウェブ・メルカトルは、一五六九年の図法の変種で、二〇〇五年に採用したグーグルを含め、ほぼすべてのオンライン地図サービスで使用されている。メルカトル図法で最重要方位となった北は、ほとんど偶然にこの勝利を手にしたが、この北向きの形式は、今では四五〇年以上前にこの図法によって最初に地図作りをした惑星から何千万キロも離れた星での調査にも使われているのだ。」
*
また中国は「南」と「北」に関しては、両方をそれぞれの理由で尊んでいたようです。
・「(前略)中国の皇帝は「天子」であり、北極星に宿る最高神の地上での顕現だった。皇帝は北の高い位置から南を「見下ろして」臣下を見た。彼の左手にあるものすべては、右手にあるものよりも勝っていた。」
・「中国古典の宇宙観もまた南を尊ぶものだが、これはより政治的・帝国的な考えにもとづいていた。(中略)南は肥沃さ、暖かさ、豊かさの方角であった。またこの言葉を用いた「指南車」というものも生まれた。(中略)皇帝は南向きの「龍座」に座っていた。これにより「南面する」とは皇帝になることを意味し、皇帝は「下」つまり南を向き、臣下は「上」つまり北を向いて、君主に敬意を表した。(中略)中国初期の地図の方位は北を頂点とするものが多く、成長と豊穣の方角である南を見つめる皇帝を、臣下たちは北向きに見上げていた。」
……ちょっと複雑なようですが、北半球にいると南側が常に「明るくて暖か」なので、人々は当然そちらを向く姿勢になることが多く、すると人の居場所自体は「北」になるので、このような中国の「北・南」の感覚は、私たち日本人にとっては分かりやすいものだと思います(文化的に受け継いでもいますし……)。
このように東西南北の「四方位」については一筋縄ではいかず、この歴史書を読んでも残念ながら「すっきり分かりました」とはいきませんでした……。
ただ古代からの東・西・南・北にまつわる文化や、その後、時代が下って東西南北のナビゲーションがとても重要になった大航海時代は「西洋」が優位になり、調子に乗った西洋が、「北方人種」は優れた集団で、東西南北をおしなべて植民地化し征服しているという二十世紀の人種的幻想を抱いたとか、第二次世界大戦後には、西洋列強に植民地化された人々が「西洋の没落」という発想に変わったことなどについては、確かにそうだなーと思わされ、それまで学んできた歴史を、「四方位」の観点から復習させてもらえました(笑)。
そして現在は……
「経済と地政学における西側の象徴は、その支持者にとっても批判者にとっても、依然として米国である。ここ数十年、アジアの経済成長を前にしたアメリカの相対的な衰退は、もはや定説となっている。このことは、アメリカ自体の「西」に対する認識にも変化をもたらしている。」
……さらにテクノロジーの進展やグローバル化が進む現在、「四方位」自体への考え方が、大きく変わりつつあるようです。
・「(前略)コンパスの四方位に特徴づけられた古い地政学的前提は崩れつつある。もはや北も西も支配的立場にはない。(中略)国家による規制緩和の追及や、インフォーマルな「ギグ」エコノミーのアウトソーシング、ITサービスの台頭、海岸浸食対策などなど、流動的なグローバル経済における新たな展開は、すべて北ではなく南で生まれている。」
・「(前略)オンライン地図とスマートフォンの組合せは、事実上の革命を起こした。その結果、方位はかつてのような力を持たなくなった。代わりに、オンライン・ユーザーは地図の中心に自分自身を置き、物理的な世界ではなく、自分の身代わりを示す青い点の動きを注視するようになった。」
・「(前略)バーチャルな社会空間では、方位に対する関心や必要性はほとんどないように思える。今や方位の力は地政学的な意味合いのなかのみにあって、方向指示的な意味合いはその陰に隠れている。
わたしたちは極が北から南へ、太陽の弧が東から西へと走る二次元四方位の地図にもとづいて世界を理解するのではなく、グローバルな多極化の世界に入りつつある。そしてその世界の四方位はさまざまな政治的意味であふれている。この四方位はすべて文化と言語のルールの結果であり、地政学的な意味でもはや道案内の道具としての用途を凌駕しているのだ。極地の氷冠が溶け、北や南という地名まで融解して変わっていくように見える一方で、東と西の定義もまた、軍事衝突や経済の激変に応じて移動し、入れ替わっていく。」
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……ユーラシア大陸のなかでヨーロッパが「西」なことは間違いないと思いますが、アメリカは大航海時代以前から「西」だったと考えていいのか、そして極東の国・日本は現在「西」側になっているのか「東」側なのか、自分でもよく分かっていないことがよく分かりました……まあ、日本人以外には、今でも「明らかに東の国」に見えているんでしょうね……。
『東西南北「方位」の世界史』……方位からの視点で、歴史を見つめ直している本で、とても興味深く読めました。ただ……全体的に、東西南北にからむエピソード紹介的なものが多いことや、解説の文章に曖昧な部分も多くて、すっきりした理解には至れませんでしたが……そもそも東西南北の四方位に普遍的な序列があるわけもなく、また東は精神的で西は物質的などと断定できるわけもないので、このような内容になるのは、むしろ当然のことなのかもしれません。
世界史に興味がある方は、ぜひ読んでみてください。
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『東西南北「方位」の世界史』